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雲仙普賢岳の噴火

雲仙普賢岳は、長崎県の島原半島の中央にある火山で、普賢岳、国見岳、妙見岳、などいくつかの山から成る雲仙岳の主峰が普賢岳となります。雲仙は自然の景観が美しいところとしても知られており、昭和9年に日本で初めて国立公園に認定された場所でもあります。四季折々の花や、秋の紅葉を求めて訪れる観光客も多く、その大半が雲仙温泉で疲れを癒していくのです。まさに自然の恵みを受けた土地だといえるでしょう。

主峰は普賢岳ですが、実際には1990年から始まった噴火によって形成された平成新山のほうが標高は高くなります。平成新山の誕生となったこの一連の噴火では、火砕流によって多くの犠牲者が出るとともに、火砕流や噴火の映像がマスコミによって広く報道され話題となりました。火砕流の恐ろしさを一般の人に知らしめる噴火になったのは間違いありません。また、過去には普賢岳の噴火によって眉山が山体崩壊を起こした「島原大変」などの災害もありました。



島原大変肥後迷惑

1792年、普賢岳の噴火に端を発する眉山の大規模な山体崩壊がもたらしたのが、島原大変です。普賢岳の噴火そのものは大した規模ではなかったのですが、その影響で3ヵ月後に起きた地震により眉山が大きく崩壊、その土砂の大半が有明海に落下しました。その土砂の量は推定1億5千立方メートル。これだけの土砂が一気に海になだれ込み、2分もしないうちに約3キロの沖合まで届いたといいます。

崩壊から25分後、大量の土砂が海中になだれ込んだことによって対岸の肥後の国に最大23mの大津波が発生、死者4600人、流出家屋2252軒の大きな被害となりました(肥後迷惑)。2011年の東日本大震災で起きた津波が21mですから、この津波の規模は驚異的です。肥後を襲った大津波は反射してさらに対岸の島原で10,184人(山体崩壊による死者を含む)、天草で344人の死者をだし、合計15,000人以上が犠牲となり、日本の火山災害でも最大の被害となりました。

この、眉山の山体崩壊から肥後の津波などの一連の災害は、島原大変肥後迷惑と言われ、後世に伝えられています。


平成新山の噴火

火砕流 雲仙復興事務所HPより 平成新山は、普賢岳の噴火とともに成長した溶岩ドームによるものです。普賢岳の溶岩は粘性が高く、噴出後も流れ落ちずに溶岩ドームを形成していきました。この溶岩ドームは何層にも重なり、その高さを増していきましたが、不安定な斜面での成長だったこともあって、途中で崩落することも多く、その結果崩落した部分が火砕流としてふもとまで押し寄せることになります。

火砕流の跡が残る雲仙普賢岳 気象庁HPより 平成新山を形成した雲仙普賢岳の噴火では、9432回もの火砕流が記録されており、そのうち何度かは大規模な火砕流が居住地域まで押し寄せてきたため、多くの家屋が焼失するなどの被害がでました。特に、1991年6月3日の大火砕流では、死者・行方不明者43人という大きな被害を受け、火砕流の恐ろしさを全国に知らしめました。この噴火は1995年頃まで頻発して、その後終息を迎えました。



火砕流と報道の在り方

1991年の火砕流による被害は、警戒地域に入り込んで取材を続けていた報道関係者が犠牲となったことから、災害と報道の在り方について大きな波紋をよぶことになりました。 この火砕流で犠牲となったのは、警告を無視して警戒地域内で取材をしていた報道関係者が16名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警戒に当たっていた消防団員12名と警察官4名をはじめとする43人。火砕流の先端も警戒地域内に収まっていたことから、報道関係者が警告を受けて、警戒地域内に侵入しなければ、これほどの犠牲者が出ることはなかったと考えられます。さらに、この火砕流の前にこれらの報道関係者が警戒地域内の住宅の電源を無断で使用していたことが発覚して住民に不安が募り、消防団員や警察官などが警戒に戻っていたことも、被害の拡大につながりました。

また、火砕流が発生するたびにヘリコプターで上空からの撮影もされており、幸いヘリコプターが火砕流に巻き込まれることはありませんでしたが、その危険性も指摘されていました。


現在の雲仙普賢岳

雲仙普賢岳は、現在火山性の活動は確認されておらず、気象庁による噴火警戒レベルも平常を示す「1」となっています。普賢岳の登山道は再開され、展望台や山頂からは国立公園の美しい景観を望むことができます。

しかし、雲仙普賢岳の噴火では、死者行方不明者44人、被害建物2,511戸、被害総額2299億円という大きな被害を受けました。多くの犠牲者を出した火砕流の跡は、現在でも山頂部に残った溶岩ドームが不安定であり、崩壊の危険性があるために警戒地域の指定を解かれていません。また、噴火の際に火砕流や土石流などが堆積した山麓は、大雨が降ると土砂崩れの危険もあるのでまだまだ注意が必要です。

市街地では、流れ出した土砂の上に新たに住宅が建造され、沿岸部にも大量の土砂を使った埋立地が作られました。火砕流で被害を受けた住宅や、焼け焦げた車のナンバープレートなどを資料館に保存することによって、火山災害の恐ろしさと防災の大切さを今に伝えています。